こんにちは!!「炎のタックラー マイク75」です!!
月日が経つのは早いもので、今年も残り数日あまりとなりました。

寒さが厳しい日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、今回は物事を学び始めてから、独り立ちしていくまでの三つの段階を
表した「守破離」という言葉について書いてみようと思います。

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字面だけ見るとなんとも難しい印象がありますが、実は多くの人が経験的に
知っていることを表現した言葉です。

「守破離」とはもともと、茶道の修業段階を教えたものだったようです。
これがやがて、日本の諸武芸に共通した修行の段階を説明する言葉として
使われるようになったとされます。

「守」とは、教えられたことを忠実に守る、いわば学習の段階です。
どんな世界にも決められた「型」があります。
型は先人が長い時間をかけ、試行錯誤を繰り返しながら完成させたものです。
これを身に付けるためには、自分の身体が型どおりに自然に動くようになる
まで、繰り返し稽古を積まなければなりません。

「破」とは教えられたことを基に応用する段階です。
型を習得する段階が深まると、それをさらに洗練させるステップに入ります。
型はそれがどんなに素晴らしいものであっても、個人個人の資質や経験に
完全にそぐうものではありません。
指導者の教えを守るだけはなく、破る行為をしてみること。
それが「破」です。
もちろん破ると言っても、それは指導者の教えにかなった方法でなければ
なりません。

「離」とは教えられた事を離れて、自分独自のものを創り上げる。
修行の最終段階です。
様々な経験を積んで、自分なりのスタイルを確立していく。
ここまで到達することができれば、自由な境地から独自の世界を想像する
ことができるのです。

ここで注意しておかなければならないのは、「離」とは決してゴールでは
ない、ということです。
これを守り、破り、離の世界に到達しても、決して基本は忘れてはいけません。

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人は「守破離」を幾度となく繰り返すことによってのみ、少しずつ成長して
いくことができるのでしょう。

この「守破離」の教えは、武芸のみならず、仕事、そして人生にも、そのまま
適用できる思想だと思います。
私自身、50歳を超えて、あらためて「守破離」の大切さを切実に感じています。

社会人として、また営業として、自分はいったいどの段階にいるのか。
あるいは人生のという修行の道を歩む一人の人間として「守破離」の本質を
理解し、どれだけ体現できているのか。

そう考えると、ますます自分の至らなさに気づき、「いまのままではだめだ。
もっと修練、修行を積まなくては」という思いが湧き上がってきます。

また、剣豪 宮本武蔵が書いた兵法書「五輪書」には、
「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」という言葉が残されています。

これは「千日の行(ぎょう)をもって鍛と為し、万日の行をもって錬と成す」と
いう意味で、事を成すには先日(約三年)、万日(三十年)はかかるということを
説いた言葉だそうです。

武蔵は五輪書を六十二歳の時に書き始め、最後の「独行道」を書いたのが死の
数日前だったといいます。

私自身も人生100年と言われているその半分を生きてきて、最後のその瞬間まで
一生懸命に修行を積んでいきたいと心に決めています。

皆さんにも人生や考え方などに影響を与えた本が必ずあるはずです。
年を重ねてから、今一度読み返してみるのも面白いのかも知れません。

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