2(初めて自分たちのオフィスを持った頃、経堂恵比寿ビルにて。馬場君は初の男性社員)

自宅の2階で起業した私は、その後も売り込みを続け、人も増え、会社も引っ越して自分たちのオフィスを持てる
ようになっていきました。

そしてこれからどうしていこう?と方向性を考えている時、テレビで芳香剤の社長さんのインタビューを見ました。
その社長さんは「発明家と企業家の違い」の話をしていました。

「発明家は今日バケツを考えて、明日はウチワを考えているけれど、企業家は一本の木を林にして、森にしていける人が企業家」と言っていました。

発明家の世界でも、カップヌードルの発案者である日清の社長は、発明家というよりは、偉大な企業家として有名です。

カップヌードルは大きなものもあれば、小さいのもあるし、ラーメンもあれば、うどんや焼きそば、パスタなどもあります。

一本の木だけだと雪崩が起きて倒れてしまうかもしれない。雷に打たれてしまうかもしれない。林にして森にしていくことによって、ある場所が被害にあっても、別の場所がちゃんと生き残って再生できる、一本の木を林にして森にしていける人こそ、企業家であると。

その言葉を聞いて、私は「発明家ではなく企業家になりたい!」と強烈に思いました。

そして当社で「林にして森にしていけるものって何だろう?」と考えた時「のりかえ便利マップ」だけでは、とてもこんなにたくさんのスタッフを食べさせていくことはできないと感じました。

ちょうどその頃、インクリメントPと「駅楽極楽」というソフトを作成しており、その部長さんが「福井さん、これからマンナビの時代がくるよ!カーナビの人版、人を目的地まで案内するの」とおっしゃっていました。

この「マンナビ」という言葉が頭に残り、これからマンナビの時代が来るのであれば、
マンナビに特化したコンテンツを制作する会社を作ろう!と思い、ある時、これに特化し、それまでやっていたガラクタ発明を一切やめました。

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その後1年くらいは全然、泣かず飛ばずでしたが、そのうち携帯電話が普及し始め、当社は「モバイルでマンナビ」を展開します、とPRしたところ、すごい反響ができて、ITバブルとなり、出資してくれる会社も現れ、2001年、資本金も大きくし株式化して、ITベンチャーに転身しました。

この思い切った決断が、当社のその後の流れを大きく変えました。

もしあの時のマンナビに特化する、という決断がなければ、今でも当社は包丁やら、おしゃぶりなどの企画を会社に売り込む、アイデア商品の企画会社をやっていたでしょう。

※次は「Sohos Style誕生物語」です。

 

 

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