路面電車が大好きなSortieです。

突然ですが、都電ってご存じの方も多いかと。
現在は「荒川線」と称して、早稲田?三ノ輪橋のあいだを
結ぶ電車ですが、これはかつて最盛期には41系統(路線)・営業距離213キロ・車両数1192両を擁していた「東洋一」だった頃の都電の、最後の生き残りなのです。

山手線内の主要道にくまなく走っていた都電。
交通の要衝である我らが神保町にも、実は白山通り・靖国通りにも都電が走っていました。
白山通りを走っていたのは巣鴨車庫?西新橋一丁目の35系統、東洋大学前?三田を結ぶ2系統、神田橋?志村坂上を結んでいた18系統、そして靖国通りには渋谷駅前?須田町の10系統、新宿駅前?両国駅前の12系統、池袋駅前?数寄屋橋の17系統が走り、東西南北の主要駅には出やすかったのです。それは今も昔も変わらないのですね。

車が増え、渋滞を招くと忌み嫌われた路面電車。高度成長期まっさかりの昭和42年12月9日、ほぼ全域の都電が廃止されたのですが、それは神保町から路面電車が永久に消えた日でもありました。

地下鉄も速くて快適ですが、路面電車からこの神保町の街並みを眺めてみたかったです。ちなみに環境負荷が少なく、逆に渋滞解消の切り札として路面電車は欧州各国では見直されています。いつか神保町にも、その流れを受けて路面電車が復活?したら嬉しいですね…。

写真は1985年に都電荒川線で撮影した、都電でも当時最大勢力を誇った6000形電車のうち「最後の実働車」6152号です。色も、往事のまま。この同型車が、神保町の街をたくさん走っていたのです。

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